さらば夢想の日々

脳をフル回転させ言うとんねん

勃つ

空を高く感じる、晴れた秋の日。僕はとある講堂の座席に座っていた。ざっと数百名は難なく収容できるくらいに広く、どこか荘厳さがある講堂。その中の客席はほぼ全て人で埋まっている。そこに座っている観客たちは老若男女、様々だった。


やがて、ステージの照明がゆっくりと灯ると、舞台袖から背の高いひとりの男性が姿を見せた。彼の片手にはマイクが握られている。ステージの中央で立ち止まったその男性は、客席を見回しながら仰々しく口を開いた。


「これより第○回、ぺニス・グランプリを開催致します」


ペニス・グランプリ?


わぁ、と周囲から一斉に大きな歓声と拍手が起こる。ペニス・グランプリ。ペニス・グランプリとは一体どのようなものなのでしょうかと、学校の授業のように手を挙げて訊けるような雰囲気ではない。その雰囲気は統制されているかのように熱狂的で、そして機械のように画一としたものだった。僕はそれに気圧され、周りと同じように手を叩き、周りと同じような音を鳴らすしかなかった。


開催を宣言した男性は、舞台袖へと姿を消す。そして、スピーカーを通して先程と同じ声が響く。


「エントリーNo.1、○○」


その声と共に、またひとり、舞台袖から別の男性が現れた。彼は下半身が裸だった。上半身は紺色のスーツ、けれど下は当然と言わんばかりに何も身に付けていない。隠して然るべきはずの男性器─いわゆるペニスが、隠されていない。


ステージの中央に立った彼は、勢いよく腰を前に突きだすと同時に、一瞬でペニスを勃起させる。沸き上がる黄色い歓声。遠目から分かるほどに、彼は巨根だった。ややあって彼はペニスを一瞬で元の─おそらくは平常時なのであろう大きさに戻すと、反対側の舞台袖へと捌けていった。


それからすぐに「エントリーNo.2、○○」との声が流れると、また別の男性が現れ、思い思いの手法で自身のペニスを見せつけ、また捌けていく。それが何度も繰り返されている。


これが、ペニス・グランプリ。自分のペニスをアピールするコンテスト。僕が今まで生きてきた世界とはまるで別の、異様な光景が繰り広げられている。けれど僕は目を離せなかった。僕は彼らのペニスに目を奪われていた。興奮していた。


「─最後の選手となります。エントリーNo.20、○○」


時間はあっという間に過ぎていた。二十人目、白いワイシャツを着た、背が高くいかにも真面目そうな男性が姿を見せる。彼のペニスには一見して目立った特徴があるわけでもなさそうだった。その形も、そして大きさも普通だ。けれど、彼は自分の股間にあるぺニスに手を伸ばすと、少し気恥ずかしそうに、けれど堂々とそれを掲げる。


忽ち、客席の至る所から感嘆したような声が上がった。


「着脱式だ...」


僕も心のなかで「あ、着脱できるんだ」と思った。彼のぺニスは確かに着脱式だった。取り付けたり外したりできるということだ。でも、いったい何のために。 自分の性器を着脱できるようにする意味がどこにあるんだろう。僕の頭はそんな疑問で溢れていた。


けれど、そんな疑問を抱いてしまうのは、野暮で、そして無粋なことなのだろう。ボディビルダーに「その筋肉はなんの意味があるんですか」と尋ねるのと同じだ。もちろん何かしらの意味があるのかもしれない。けれど、無くてもいい。意味があるのかないのか、赤の他人がそんな次元で勝手に物を語るのは、傲慢でしかない。傲慢な人間は、僕は嫌いだ。


つまりは、ぺニスが取り外しができてもいい。意味があっても、意味がなくても。そういうことだ。僕は客席から、彼に向けて大きな拍手を送った。講堂には万雷の拍手が巻き起こっていた。彼のペニスはそれに応えるかのように、ピクピクと微動した。ありがとう、と言っているような気がした。


─やがて、審査が終わる。ペニス・グランプリの結果は、着脱式ペニスの男性が一位だった。二位は睾丸が三つある男性。三位の男性は象の鼻みたいなペニスをしていた。というよりも、象の鼻だった。三位の彼に関してはあまり僕の好みではなかった。けれど「いいじゃん」と思った。象の鼻でもいいじゃん、と。


家に帰った僕は、いつになく昂っていた。あれが。あれが、ペニス・グランプリか。あのペニスたちが脳裏から離れない。しばらくは興奮を抑えられそうもなかった。少し頭を冷やした方がいいかもしれない。僕はシャワーを浴びようと、脱衣所で服を脱ぐ。洗濯機に脱いだ服を放り込んでいると、洗面台の鏡に自分の姿が映る。


「なんで」


鏡を見て、僕は首を傾げる。


「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」


僕は首を傾げたまま、自分の顔を鏡に近づける。ゴン、という鈍い音と痛み、そして鏡の表面の無機質な冷たさが、僕の額に伝わる。


「なんで! 僕には! ペニスがないんだよ!!」


気がつくと僕は、叫びながら鏡に額を叩きつけていた。


僕にペニスがない理由はひとつ。性別が女だからだ。


例えば、学校指定の制服を着る度に。シャワーを浴びるため、服を脱ぐ度に。鏡に映る裸の自分を見るたびに。僕は自分の”性”を嫌というほど自覚させられる。


僕は女性だ。少なくとも、身体上は。


今の医学では、女性であっても性転換手術を行うことで、男性器を模した組織を生成することは可能らしい。けれど、僕にとってそれは”純正”じゃない。ペニス・グランプリに出場していた彼らのペニスとは、似ているけれど明らかに違うものだ。


”純正”か、そうじゃないかなんてことに意味があるのか。僕はそんなふうに利いたような他人の声を許さない。─あるに決まってるだろ。当人の僕には。僕が意味があると思っているならば、ある。


「なんで」


洗面台の鏡は砕け、砕けた鏡に写る自分の額からは血が流れていた。額を手のひらで拭い、僕は自分の股に血のついた手を伸ばす。伸ばした手が、股に触れる。もちろん、そこにペニスはない。


右腕に右手があるように。左腕に左手があるように。僕には、そこにないと駄目なのに。どうして、どうして僕にはペニスがないのだろう。


「─もう、いやだ...」


自分は、どうしようもないくらいに女である。


その現実から、僕は今日も逃れられない。


なにもかも おわりらしいぞ