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その日は何となく、揚げ物が食べたい気分だった。
自宅からほど近い場所にあるやよい軒にて黙々と唐揚げ定食を食べていると、それぞれ隣り合って座っている、二組の家族が僕の視界に入った。
片方の家族は、スーツを着た精悍な顔立ちをしている男性と、小綺麗な家着に身を包んだ女性の若い夫婦、そして小学生くらいの男の子。その男の子は、僕と同じ唐揚げ定食を、とても美味しそうに頬張っていた。
凡そ行儀が良いとは言えない箸の持ち方をしている息子を口では窘めつつも、その若い夫婦は優しい目で彼を見守っている。
あの中の誰かが重い病気にでもなったりしないかな、と僕は一瞬だけ思った。やめよう、と僕はすぐにそんな思考を打ち切る。
もう片方の家族は、老齢の夫婦と、その息子であろう40代くらいの男性。三人ともくたびれた格好をしていて、心なしか疲れた表情をしているように感じられた。
そして、その男性は、個性という耳触りの良い言葉では片付けることの出来ない『どこかしらに問題を抱えているのであろう』不審な挙動をしながら、勢いよく鯖の塩焼きを食べている。老夫婦は、そんな彼を温かい目で見つめている。
その目に浮かんでいるのは、愛情ではなかった。
諦観だった。
彼らは何かを諦めていた。それはきっと、赤の他人には想像することは出来ても、真に推し量ることの出来ない何かであることを僕は察した。
僕は残り二個となった皿の上の唐揚げに目を落とす。
あの二組の家族は異なっている。見比べると、残酷なほどに異なっている。
僕は泣きそうになった。
これは憐憫、いや、同情か?
僕には自分が抱いている感情の正体も、そしてなぜ自分が泣きそうになっているのかも分からなかった。いや、本当は分かっているけれど、ただ目を背けているだけなのかもしれない。
不平等で理不尽な現実に憤り、悲しくなったのだろうか? それはない。僕はそこまで情に篤い人間ではない。それとも、心の中で密かに、あの家族は不幸だ、そう断定してしまった自分に虚しくなったのだろうか? 幸せそうな人に不幸が訪れることを軽い気持ちで願う、そんな自分にはどうとも思わないのに?
考えを巡らせても答えは出なかった。けれど、出す必要のない答えのような気もした。
都合の良い答えに辿り着いて、自分勝手に納得して、答えを出した自分に気持ち良くなって、それで終わる。自己陶酔だ。そんなことをしても、何も得られない。だから、僕はそれ以上考えないことにした。
ふと、徐々に近づいてくる足音に気付き、僕は顔を上げる。
僕の目の前に、『問題を抱えているのであろう』男性が立っていた。
ご飯のおかわりのために僕の席の近くまで来たその男性と、目が合う。
彼は僕に向かって、甲高い声で何かを言った。思わず耳を塞ぎたくなった。
なんと言ったのかは聞き取れない。彼が発した声は、言葉になっていなかったからだ。
店内にいる他の客や店員が、迷惑そうな目や不安げな目でこちらを一瞥する。あの若い夫婦もこちらを見ていた。その視線の数々に気付いていないのか、不慣れな手つきで炊飯器からご飯を茶碗に盛った男性は、満足げに、そして誇らしげに家族のいる席に戻っていく。
僕はそんな彼の背中をしばし見つめた。その男性の両親とも、目が合う。彼らは申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。つられて僕も頭を下げた。
僕は卓上に備え付けられている漬け物を箸で取って口に運び、無心で噛み切った。何も考えてはならない。何も考えるべきではない。
箸を持つ僕の手は、微かに震えていた。
食欲はもうどこかへと消えていた。