さらば夢想の日々

脳をフル回転させ言うとんねん

2019年を真面目にざっくりと振り返る

あと数十分ほどで2019年が終わる。今は実家のベッドに横になりながらこの文章を書いている。一年ぶりに帰省した実家には、玄関や部屋の隅に塩が盛られていた。盛り塩は厄除けや魔除けなどの風習らしいが、見ていてあまり気分のいいものではない。俺が厄や魔だと思われてるみたいじゃん。


前年の2018年、自分の中で最も大きな出来事は心身が疲弊したことによる休職、その果ての退職だった。気分的にはゲームの周回のような、それらを引き継いでの2019年である。あまり振り返りたくはないが、ざっくりと振り返ってみる。こんなことを言っている時点で良い一年ではなかったのだろう。


【1月~4月】

1月にCADオペレーターとして再就職をして、4月の中旬で辞めている。辞めた理由で大きなものが残業時間である。東京の本社で勤務していた時は多くても月20時間ほどだったが、大阪の支社に異動すると事態が一変した。月の残業時間が80時間、約4倍になったのである。


一度でも退職を経験していると、それ以降は仕事を辞めるということに躊躇いがなくなる。幸いなことにそのとき貯金は若干ではあるが残っていたので、すぐに仕事を辞めた。自分でも驚くくらいに迷わなかった。自分の心身の状態を最優先に考えるべきだということは、新卒で就職した企業(〒*1)でそれらを失ってから気付いた。


非常に大雑把な言い方になってしまうが、俺はもう病みたくない。というよりも、もう病むわけにはいかない。もし自分がまた心身を崩してしまった場合「次はないだろうな」という予感がある。次というのは就職先のことではない。”生きることに前向きにならないだろう”という意味だ。明言することを避け、濁した書き方となった。そもそもこんなことを書かないという選択も出来たが、心に留めて置くために書いた。もう次はない。


【5月~7月】

ハローワークに通い、失業保険の手続きや職業訓練の相談などをしていた。おかげで失業手当や雇用保険などの知識が妙に身に付いた。自己都合退職と会社都合退職は大きく違うぞ。事情があればちゃんと会社都合にしてもらおうね。


今までの仕事で得たものはCADの操作くらいしかなかったため(〒ではなにもない)、職業訓練に通うことにした。職業訓練を受けるためには筆記試験と面接に合格しなければならない。一度落ちて、二度目で合格。一度落ちると受講時期が一ヶ月ほど先送りになるので、最初に落ちたときは普通にキレかけた。面接官の目は節穴なんじゃないかと思ったが、皆さん「節穴」と言われてそれが何かをパッと頭に思い浮かべることができますか。木の板とかのアレです。


給付金が貰えるのは訓練が開始してからのため、それまでの期間は日銭を稼ぐために短期や単発のアルバイトをしていた。倉庫での軽作業やイベントスタッフなど。それにしても治験のバイトはコスパが良すぎる。治験だけで生活したい。プロのモルモットになりたい。


【8月~9月】

職業訓練は事務とWEBについての訓練、期間は3ヶ月を予定していた。ビジネスマナー講座やWord・Excelに加え、htmlやcssなどもカリキュラムに含まれていた。


他の訓練生はほぼ自分よりも年上、中年でパソコンに慣れていない人も多く、職業訓練という形式上、必然的に講義のスピードはその人たちに合わせることになる。俺は大学などでWordやExcelをある程度は使っていたため、早めに課題を終えると後は自習。基本的に放ったらかしだった。


訓練を受けつつ、給付金を貰いつつ次の仕事を地道に探そうと思っていたが、これはさっさと就職した方がいいかもしれないと考えを切り替え、8月の中旬辺りから仕事を探し、9月中旬にいくつか内定をもらう。結局、職業訓練は2ヶ月で修了となった。htmlとcssプログラマー(コーダー?)のような気分になれて楽しかったな。それにしても俺はビジネスマナー講座を人生で何回受けることになるんだよ。


【10月~現在】

そして、今年の10月からIT系の会社で働いている。仕事内容や環境については、またここで得意気に書いてしまうと辞めたときに立つ瀬がないので、詳しくは書かない。けれど、今まで在籍した会社と比べると、かなりまともだと思う。とりあえず、今の段階では辞める気はない。そう言いながらフッと仕事を辞めてしまうのが俺という人間なんだよな。俺は俺のことが信用できない。


去年、そして今年と自分にとって良くない一年が続いている。その原因は他人や環境など自分ではどうしようもないものもあれば、俺自身に問題があるものもあったと思う。後になってから言えることだが、二社目の就職についてはもう少し慎重になるべきだった。


来年の2020年。幸せになりたいとは言わない。嫌なことも少しはあっていいから、静かに、そして穏やかに過ごしたいというのが切実な願いである。


これは俺にとって高望みなのだろうか? もしこの願いが自分の能力や資質では叶えることの難しい、手の届かないような位置にある願いだとしたら、もう希望はない。


頭に思いつくままに書いてしまうと整然とした文章になりませんね。ある意味これが自然な文体なのかもしれませんが...

*1:記号一文字で伝えられるのが便利。