さらば夢想の日々

脳をフル回転させ言うとんねん

潰れる

目の前に見知った顔の人が座っていた。

会ったことはないけど、俺はこの人の顔を知っている。誰だっけ。最近もニュース番組で見た記憶がある。ああ、思い出した。日大アメフト部の監督をしていた内田正人さんだ。椅子に座ったまま、初対面のはずの俺になぜか厳しい表情を向けている。

そんな内田前監督の口がパクパクと動いている。相変わらず表情は堅いままで、おまけに何を言っているのか聞き取れない。注意深く耳をすませていると、徐々にその声が聞き取れるようになっていった。


「やらなきゃ意味ないよ」


やらなきゃ意味ないよ?


「やらなきゃ意味ないんですか」そう言って俺は内田前監督に真正面からタックルをした。人生でアメフトの経験はない。そもそも人に向かってタックルをしたこともない。それでも俺はやった。やらなきゃ意味ないよ、その言葉が俺の脳に刺青のように刻み込まれ、消えることなく形をもって蠢いている。

内田前監督は椅子から転げ落ちて、俺と抱き合うようにして倒れこむ。ああ、これが内田前監督の体温。これが内田前監督の匂い。これが内田前監督の鼓動。彼は俺と身体を絡めたまま、耳元でまた何かを言っている。今度はさっきとは違う言葉だ。


「内田が言った、でいいじゃないですか」


「やらなきゃ意味ないんですか」俺は内田前監督をすぐさま引き起こして、またタックルをした。素人ながら一回目よりもうまくタックルができたと思った。身体から余計な力が抜け、肉体が躍動していると自分でも意識する。素人タックルから殺人タックルへ。俺のタックルは確かに進化した。人間は短時間にここまで成長できるのかと、ちょっとした感動すら覚えた。

俺のタックルを二回くらった内田前監督は動かなくなった。「ご指導ありがとうございました」と俺は立ち上がって深々と一礼をする。倒れたままの内田前監督はピクリともしない。しばらく時間がたっても、何の反応も示すことはなかった。

やっぱりやらなきゃ意味がないんだ。やってこそ意味があるんだ。

彼の身を挺した指導に感銘を受けた俺は、ポケットから煙草を取り出して口にくわえ、百円ライターで火をつけた。長い時間をかけて、煙草の煙をゆっくりと肺の隅々まで浸透させていく。有害な物質を取り込むことへの報酬のように、俺の心は満たされていった。慣れ親しんだタールの匂いを鼻腔で感じながら、俺は誰に言うわけでもなくつぶやく。


「そんなわけあるかこのボケが」


努力。結束。意義。意味。

それらすべてを馬鹿にするような言葉を、俺は紫煙とともに吐き出した。




おわり